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昭和27年3月17日栃木県那須郡西那須野町生まれ。 栃木県立大田原高校、早稲田大学政経学部、中央大学法学部卒。故渡辺美智雄秘書。通産相・外相秘書官を歴任。 平成8年初当選。金融、経済、倒産法制、住宅ローン対策等の私案を次々と発表。政策新人類と称された。企画立案実現型政治家を目指す。当選2回の時、「自民党派閥システムこそ諸悪の根源」と表明して派閥を脱藩。以来、無派閥を貫く。アジア重視の議員外交も展開中。 平成18年暮、安倍総理に突破力を買われ、行政改革・規制改革担当大臣となる。天下り根絶を目指した公務員制度改革をまとめた。地域活性化担当大臣としても地域活性化伝道師を任命し、地域のお宝発掘運動を広めた。また、道州制担当大臣として道州制ビジョン懇談会を立ち上げ、道州制実現を目指す。 平成19年8月、金融・行政改革担当大臣となり、サブプライムローン問題を契機とした世界的金融不安が大恐慌につながるとして危機の根本治療の処方箋を金融市場戦略チームにおいて練る。公務員制度改革も幹部人事の内閣一元化、キャリア制度の廃止等を柱とする改革基本法を制定し、官僚内閣制から真の議院内閣制への大転換をはかる。 平成21年1月、麻生内閣が国民と断絶した政治を行っているとして自民党を離党。脱官僚・地域主権・生活重視の国民運動を立ち上げる。国民の手に政治を取り戻すことは、税金や保険料を国民に取り戻すことである。 官僚主導から政治主導へ、中央集権から地域主権へ、各省なわばり型システムから国民本位型システムへの革命を目指して奮闘中。 座右の銘はさまざまなミッチー語録。決断を迫られたとき「ミッチーだったらどう考えるか」と発想する。 決断力、度胸、歯切れの良さは父親譲り。政治家を志したのは中一のとき。新人議員だった父の話に、カミナリに撃たれたような衝撃を受けたのがきっかけ。プロ野球選手になることを断念し、父と同じ道を歩むことを決意。柔道部に入り、行商人であった父の苦労を知ろうと新聞配達を始める。「繁栄した国家や文明は数あれど繁栄し続けたものは一つもない」という父の言葉を肝に銘ず。




















